2010年9月10日金曜日
2010年9月4日土曜日
新Kindleの日本語対応
2010年9月3日金曜日
Amazon Kindle
2010年8月18日水曜日
消費者金融の良心
行動経済学で明らかにされているように、人は感情で判断する。感情は、イメージに大きく左右される。その意味で、行動経済学的に企業の社会貢献広告は一定の効果があるかもしれない。その社会貢献の度合いではなく、イメージの伝播という点で。
しかし、今日ひどい広告を見た。消費者金融の新聞広告だ。下5段のカラー広告で、自社のペットボトル・キャップの収集ボランティアで昨年198人にポリオ・ワクチンが打てた、と偉そうに広告している。日本で、ポリオワクチン1本の値段が20円であることが書かれているのはご愛嬌だが、昨年のこの社会貢献の金額は4,000円に過ぎない。この広告には、数百万円以上かかっているだおう。
いくらなんでも、この矛盾に多くが気付くと思うが、どうだろう?
しかし、今日ひどい広告を見た。消費者金融の新聞広告だ。下5段のカラー広告で、自社のペットボトル・キャップの収集ボランティアで昨年198人にポリオ・ワクチンが打てた、と偉そうに広告している。日本で、ポリオワクチン1本の値段が20円であることが書かれているのはご愛嬌だが、昨年のこの社会貢献の金額は4,000円に過ぎない。この広告には、数百万円以上かかっているだおう。
いくらなんでも、この矛盾に多くが気付くと思うが、どうだろう?
2010年7月25日日曜日
2010年5月12日水曜日
ボーナスが立つようになったら
立ち読みした週刊アスキーにあったのは、話題の高城剛と都築響一の対談。都築がこだわりを続けているスナック文化について。
面白かったのは、昔の平凡出版(現マガジンハウス)の編集者だった都築の話し。給料が安ければサラリーマンは勝手ができる。自由である。上司の机を蹴り上げられる。でも、高給をもらうようになると、「上司の机を蹴り上げられなくなる」。曰く、「ボーナスの袋が立つようになると、上司の机は蹴られない」。
今に至るも、たいした待遇を得ていない自分だが、20年前の自分の境遇を考えて、激しく肯くのであった。20代の最低のサラリーマン、でもほぼ最高に自由だった自分を思って。
面白かったのは、昔の平凡出版(現マガジンハウス)の編集者だった都築の話し。給料が安ければサラリーマンは勝手ができる。自由である。上司の机を蹴り上げられる。でも、高給をもらうようになると、「上司の机を蹴り上げられなくなる」。曰く、「ボーナスの袋が立つようになると、上司の机は蹴られない」。
今に至るも、たいした待遇を得ていない自分だが、20年前の自分の境遇を考えて、激しく肯くのであった。20代の最低のサラリーマン、でもほぼ最高に自由だった自分を思って。
2010年4月15日木曜日
無料乳がん検査と間寛平の前立腺がん
なんか、医療ジャーナリストのようだが、気になるニュースを2つ。
中部地方の薬局が乳がん検査を無料で募集するというニュースがあった。この薬局のメリットは何か?これは想像だが、地元医師会にいい顔をして、病院や医院にその薬局に患者を誘導してもらうためではないか?デメリットは何か?これは、明らかに50歳以下の女性で、この検査に応募した人じゃないか?症状がないのに、乳がん健診を受けるメリットは本人にはなく、偽陽性による、必要でない治療・手術というデメリット=被害しかない。もしかすると、50歳以上の女性には少しの統計的メリットがあるかもしれないが、これは断言できない。また、自分で乳房に触って触診することも死亡率に影響しないことがわかっている。乳がんを意識してモニタリングすることには、デメリットしかないようだ。
世界をマラソンしている?タレントの間寛平が前立腺がんで治療するため、マラソンを休むというニュースがあった。これは、健診で見つかったのがどうかが定かではないが、世界マラソン中という事情から人間ドックなどで見つかった可能性が高いように思う。そうであれば、おそらく無意味な治療をしている。年配で死亡した男性を解剖すると3人に1人の確率で前立腺がんが見つかる。これは、無意味な可能性がある。前立腺がんでの死亡は、1位の肺がんの数分の1だ。
コスト(無駄な治療や手術)を考えると、がん検診は割に合わないように思う。
中部地方の薬局が乳がん検査を無料で募集するというニュースがあった。この薬局のメリットは何か?これは想像だが、地元医師会にいい顔をして、病院や医院にその薬局に患者を誘導してもらうためではないか?デメリットは何か?これは、明らかに50歳以下の女性で、この検査に応募した人じゃないか?症状がないのに、乳がん健診を受けるメリットは本人にはなく、偽陽性による、必要でない治療・手術というデメリット=被害しかない。もしかすると、50歳以上の女性には少しの統計的メリットがあるかもしれないが、これは断言できない。また、自分で乳房に触って触診することも死亡率に影響しないことがわかっている。乳がんを意識してモニタリングすることには、デメリットしかないようだ。
世界をマラソンしている?タレントの間寛平が前立腺がんで治療するため、マラソンを休むというニュースがあった。これは、健診で見つかったのがどうかが定かではないが、世界マラソン中という事情から人間ドックなどで見つかった可能性が高いように思う。そうであれば、おそらく無意味な治療をしている。年配で死亡した男性を解剖すると3人に1人の確率で前立腺がんが見つかる。これは、無意味な可能性がある。前立腺がんでの死亡は、1位の肺がんの数分の1だ。
コスト(無駄な治療や手術)を考えると、がん検診は割に合わないように思う。
2010年4月11日日曜日
HIV検査が陽性になったら
前掲の「リスク・リテラシーが身に付く統計的思考法」は、HIV検査における偽陽性問題も取り扱っている。
さて、日本においてHIV検査で陽性になった場合、ほんとうに感染している可能性はどれぐらいだろうか?
多くの疾病判定検査では、偽陽性は許されるが、偽陰性は許されないことになっている。つまり、感染していないのに感染している(陽性)と判定されること(偽陽性)は、許されても感染しているのに感染していない(陰性)と判定されること(偽陰性)は許されない。これは、合理的に理解できるだろう。偽陽性があるので、陽性であった場合は慎重な追加テストが必要となる。HIV検査においても、コストと時間をかければ「絶対」の判定を行うことができる。しかし、通常の2種混合の検査においては、偽陽性が発生してしまうことは避け得ない。だいたい、0.3パーセントぐらいの偽陽性の発生が見込まれている。
昨年末の時点で、日本国内では、まだエイズを発症していないHIV感染者が11,560人、エイズ患者が5,319人の合計、16,879人となっている。また、凝固因子(血友病)製剤による感染者が、1,439人となっている。ここから、日本国内の実感染者数を推定するのはどうすればよいだろう。
ひとつの指標は、献血におけるHIV感染率だ。厚生労働省のエイズ動向委員会の最新報告によると、昨年の数字で約5百万件辺りの抗体陽性数は、約100件で、パーセントにして0.002、10万件当たり2件程度だ。献血における陽性数の考え方は、難しい。献血では、HIV感染が陽性になっても本人に知らされることはない。それなのに、「検査」目的で献血する層がいるらしい。しかし、献血の母数にリスク・グループが多く含まれていると考えても、0.002パーセントという数字は大きな数字ではない。そこから考えても、実感染数が報告数の数倍以上というようなことはないのではないか?たとえば、約2倍と推定すると、3万人の感染者がいることになる。人口比で言うと、0.02パーセント強となる。
保健所等での検査は、年間十数万件で推移している。10万件にしてみると、リスク・グループのバイアスを考えないとすると、感染者は20人強だ。0.3パーセントの偽陽性によって、検査の結果では300人の感染してないのに陽性になる件数が出る。感染者の20人は確実に陽性になるので、320人の陽性が出て、うち20人だけが真の陽性である。すると、この検査で陽性となった場合に、真の要請である確率は、なんと6.25パーセントとなる。
自分で採血して検査するような簡易検査や即日判明する簡易検査では、1パーセント程度の偽陽性があると言われている。そうなると、10万件辺りでは、1000件の偽陽性が発生する。すると、このような簡易検査で陽性になった場合に真の陽性である確率は、さらに低く、約2パーセントに過ぎない。
保健所での検査でも、陽性となった人の16人のうち15人は非感染者で、簡易検査による陽性となった人の25人のうち24人は非感染者なのだ。
前掲書でも、偽陽性による悲劇が取り上げられているが、日本でもこの偽陽性によって、自殺を含む、人生の悲劇に直面した例が多いのではなかろうか?これは、「啓蒙」を強く必要とする案件だと思う。
さて、日本においてHIV検査で陽性になった場合、ほんとうに感染している可能性はどれぐらいだろうか?
多くの疾病判定検査では、偽陽性は許されるが、偽陰性は許されないことになっている。つまり、感染していないのに感染している(陽性)と判定されること(偽陽性)は、許されても感染しているのに感染していない(陰性)と判定されること(偽陰性)は許されない。これは、合理的に理解できるだろう。偽陽性があるので、陽性であった場合は慎重な追加テストが必要となる。HIV検査においても、コストと時間をかければ「絶対」の判定を行うことができる。しかし、通常の2種混合の検査においては、偽陽性が発生してしまうことは避け得ない。だいたい、0.3パーセントぐらいの偽陽性の発生が見込まれている。
昨年末の時点で、日本国内では、まだエイズを発症していないHIV感染者が11,560人、エイズ患者が5,319人の合計、16,879人となっている。また、凝固因子(血友病)製剤による感染者が、1,439人となっている。ここから、日本国内の実感染者数を推定するのはどうすればよいだろう。
ひとつの指標は、献血におけるHIV感染率だ。厚生労働省のエイズ動向委員会の最新報告によると、昨年の数字で約5百万件辺りの抗体陽性数は、約100件で、パーセントにして0.002、10万件当たり2件程度だ。献血における陽性数の考え方は、難しい。献血では、HIV感染が陽性になっても本人に知らされることはない。それなのに、「検査」目的で献血する層がいるらしい。しかし、献血の母数にリスク・グループが多く含まれていると考えても、0.002パーセントという数字は大きな数字ではない。そこから考えても、実感染数が報告数の数倍以上というようなことはないのではないか?たとえば、約2倍と推定すると、3万人の感染者がいることになる。人口比で言うと、0.02パーセント強となる。
保健所等での検査は、年間十数万件で推移している。10万件にしてみると、リスク・グループのバイアスを考えないとすると、感染者は20人強だ。0.3パーセントの偽陽性によって、検査の結果では300人の感染してないのに陽性になる件数が出る。感染者の20人は確実に陽性になるので、320人の陽性が出て、うち20人だけが真の陽性である。すると、この検査で陽性となった場合に、真の要請である確率は、なんと6.25パーセントとなる。
自分で採血して検査するような簡易検査や即日判明する簡易検査では、1パーセント程度の偽陽性があると言われている。そうなると、10万件辺りでは、1000件の偽陽性が発生する。すると、このような簡易検査で陽性になった場合に真の陽性である確率は、さらに低く、約2パーセントに過ぎない。
保健所での検査でも、陽性となった人の16人のうち15人は非感染者で、簡易検査による陽性となった人の25人のうち24人は非感染者なのだ。
前掲書でも、偽陽性による悲劇が取り上げられているが、日本でもこの偽陽性によって、自殺を含む、人生の悲劇に直面した例が多いのではなかろうか?これは、「啓蒙」を強く必要とする案件だと思う。
2010年4月10日土曜日
がんと闘うな!
日本の歌手グループで、がん(悪性リンパ腫?)の発病を告白し、「がんと戦って帰ってくる」と言ってコンサートをやったらしい。
がんには、いくつもの種類があるらしい。大きく分けると、身体中に早く広がる浸潤性(英語だとinvasive、まさに「侵略的な」)のもの、大きくなったり、広がるのが遅いか、そうならないもの、の2種類があるらしい。どうも、浸潤性の、悪質なものが早期発見⇒切除・治療で、完治するかどうかはわからないらしい。
しかも、腫瘍を病理的に見て、悪性か良性か、浸潤性かそうでないか、を判断する基準は非常にあいまいである。
健診というのは、自覚症状がないのに病気があるかないかを検査することだ。そのような、がんの検診で、乳がん健診も大腸がん検診も有意にメリットがないことは証明されている。乳がん健診の場合、50歳以上だといくらかの効果があるらしいのだが、それも微々たる差にしか思えない。
ここで、メリットというのは、その健診を行うことで対象としている疾病による死亡をどれだけ減らせるかという統計値だ。大規模な追跡調査によって、便の潜血を検査する健診は大腸がんによる死亡を減らせないことが判明している。多くのがんでも、検診が有意に当該のがんによる死を減らせないことが証明されている。
日本の健康診断で行われている、肺レントゲン、胃レントゲン、便の潜血検査、乳がん検査は、メリットがない。メリットがなく、デメリット=コストがなければいいのだが、デメリットは無視できないほど大きい。
つまり、レントゲン検査による被爆や検査の擬陽性による、無意味な治療が、コストである。たとえば、乳がん検査による擬陽性はかなり高いと見られている。必要がないのに、乳房が切除されたり、放射線理療で被爆する可能性が高いのだ。
この辺りのことを、近藤誠さんの本で読んでいたが、次の本は統計学・確率論から説いていて説得力がある。
がんには、いくつもの種類があるらしい。大きく分けると、身体中に早く広がる浸潤性(英語だとinvasive、まさに「侵略的な」)のもの、大きくなったり、広がるのが遅いか、そうならないもの、の2種類があるらしい。どうも、浸潤性の、悪質なものが早期発見⇒切除・治療で、完治するかどうかはわからないらしい。
しかも、腫瘍を病理的に見て、悪性か良性か、浸潤性かそうでないか、を判断する基準は非常にあいまいである。
健診というのは、自覚症状がないのに病気があるかないかを検査することだ。そのような、がんの検診で、乳がん健診も大腸がん検診も有意にメリットがないことは証明されている。乳がん健診の場合、50歳以上だといくらかの効果があるらしいのだが、それも微々たる差にしか思えない。
ここで、メリットというのは、その健診を行うことで対象としている疾病による死亡をどれだけ減らせるかという統計値だ。大規模な追跡調査によって、便の潜血を検査する健診は大腸がんによる死亡を減らせないことが判明している。多くのがんでも、検診が有意に当該のがんによる死を減らせないことが証明されている。
日本の健康診断で行われている、肺レントゲン、胃レントゲン、便の潜血検査、乳がん検査は、メリットがない。メリットがなく、デメリット=コストがなければいいのだが、デメリットは無視できないほど大きい。
つまり、レントゲン検査による被爆や検査の擬陽性による、無意味な治療が、コストである。たとえば、乳がん検査による擬陽性はかなり高いと見られている。必要がないのに、乳房が切除されたり、放射線理療で被爆する可能性が高いのだ。
この辺りのことを、近藤誠さんの本で読んでいたが、次の本は統計学・確率論から説いていて説得力がある。
2010年4月7日水曜日
2010年春の旅行 - ソウルからジャワ島へ
今年は、春に旅行に行くことにした。インドネシアの遺跡を見ることを主目的に、久しぶりのソウルにもよることにした。
ソウルは、娘のリクエストに応えてロッテ・ワールドに行ったが、一泊、伝統的なオンドルの宿に泊まってみた。

夜は、簡易版の韓定食だったが、これはちょっと寂しいメニューだった。ロッテ・ワールド近くの繁華街で食べたデジカルビ(豚のカルビ炭焼き)が頗るうまく、韓国庶民料理のレベルの高さを知った。

次にジャカルタを経由して、ジャワ島の真ん中に位置する都市ジョクジャカルタに、ボロブドゥール遺跡を見るために行った。しかし、同時にアジア一とも言われるリゾートホテル、アマンジオに泊まることも目的のひとつだった。


そして、ボロブドゥール。仏教東伝の成果のひとつを見て感慨深かった。


そして、ジョグジャカルタ空港近くの、ヒンドゥー、仏教混合遺跡のブランバナン。ここも遺跡単体を考えれば、ボロブドゥールに劣らない規模の世界遺産だった。
ソウルは、娘のリクエストに応えてロッテ・ワールドに行ったが、一泊、伝統的なオンドルの宿に泊まってみた。
夜は、簡易版の韓定食だったが、これはちょっと寂しいメニューだった。ロッテ・ワールド近くの繁華街で食べたデジカルビ(豚のカルビ炭焼き)が頗るうまく、韓国庶民料理のレベルの高さを知った。
次にジャカルタを経由して、ジャワ島の真ん中に位置する都市ジョクジャカルタに、ボロブドゥール遺跡を見るために行った。しかし、同時にアジア一とも言われるリゾートホテル、アマンジオに泊まることも目的のひとつだった。
そして、ボロブドゥール。仏教東伝の成果のひとつを見て感慨深かった。
そして、ジョグジャカルタ空港近くの、ヒンドゥー、仏教混合遺跡のブランバナン。ここも遺跡単体を考えれば、ボロブドゥールに劣らない規模の世界遺産だった。
2010年3月10日水曜日
弁護士資格の開放
宇都宮健児さんという、宮部みゆきの『火車』に出てくる、サラ金と戦う弁護士のモデルになった人が、日本弁護士会の会長になるらしい。会長選挙の勝因は、対立候補よりも司法試験合格者数の数を低く設定したからだろう。それが、痴呆にいる弁護士に受けたのだ。米国モデルの法科大学院制度を作ったけど、思った以上に訴訟が増えないので、弁護士の過当競争が発生し、人数制限しなければならないというのが実情らしい。
池田信夫さんのあけすけなところは非常に好きなのだが、彼の取り上げる、ミルトン・フリードマンの「弁護士無用論」を見て欲しい。いかに、そのような主張が社会的に害毒かを。資格というのは、できるだけ減らしたほうが、社会のためになる。
中坊公平が、「平成の鬼平」、「総理にしたい人ナンバーワン」に持ち上げられたあと、刑事被告になりかけて、弁護士を廃業し、蟄居せざるを得なかったことは、もっと周知されるべきだろう。彼は、住専の債権処理で弁護士業界に富をもたらし、それが過ぎて、犯罪者になりかけたのだ。
池田信夫さんのあけすけなところは非常に好きなのだが、彼の取り上げる、ミルトン・フリードマンの「弁護士無用論」を見て欲しい。いかに、そのような主張が社会的に害毒かを。資格というのは、できるだけ減らしたほうが、社会のためになる。
中坊公平が、「平成の鬼平」、「総理にしたい人ナンバーワン」に持ち上げられたあと、刑事被告になりかけて、弁護士を廃業し、蟄居せざるを得なかったことは、もっと周知されるべきだろう。彼は、住専の債権処理で弁護士業界に富をもたらし、それが過ぎて、犯罪者になりかけたのだ。
2010年2月24日水曜日
2010年2月7日日曜日
複雑系、ふたたび
実は、ランダムネスの観点も、ジョージ・ソロスの「可謬論」の観点も、複雑系科学の側面援護がある。「ブラック・スワン」に出ている話だが、ビリヤードの玉の反射予測をしようとすると、9回目で側に立つ人の重力による引力を考慮しなければならず、56回目に至ると宇宙全部の素粒子の動きを考慮しなければならないというのが理屈だ。たかが、ビリヤードのボールの動きでさえ、これほどの複雑さを含有するのだが、他は推して測るべし。
複雑系の考えは、20年ぐらいの時間をおいて再び返って来た感がある。その頃、高校の同級生Hが、フラクタルに興味をもって、マンデルブローのフラクタル図を酒の肴にしていた。そして、自分も興味を持ってサンタフェ研究所関連の本を読んだりしていたが、投資をやっていなかったし、仕事上の不確実性をそんなに経験していなかったので、浅い理解で終わったように思う。
しかし、20年の仕事経験と10数年の投資経験から、不確実性の理論は血肉になってきた。
複雑系の考えは、20年ぐらいの時間をおいて再び返って来た感がある。その頃、高校の同級生Hが、フラクタルに興味をもって、マンデルブローのフラクタル図を酒の肴にしていた。そして、自分も興味を持ってサンタフェ研究所関連の本を読んだりしていたが、投資をやっていなかったし、仕事上の不確実性をそんなに経験していなかったので、浅い理解で終わったように思う。
しかし、20年の仕事経験と10数年の投資経験から、不確実性の理論は血肉になってきた。
ランダムネス
自分の人生を、社会を考える上で何がいちばん重要だと思っているか?たぶん、ランダムネスだろう。いかに、人の人生が偶然性に支配されているか、不確実性の海にいるのかを理解するためには、ランダムネスという概念をまず第一に置くべきだろう。
この本は、巧みなゴシップを混ぜながら、ランダムネスの本質を鋭く取り上げている。また、常識とは乖離した確率論の視点も提示していて面白い。たとえば、「3つのドアのうち1つに賞品のスポーツカーが入っている。まず1つのドアを選択したあとに、主催者が残りの2つのドアのうち、はずれのドアを開けたあと、最初の選択を固守したほうがいいのか?もう1つの残りのドアに替えたほうがいいのか?」「2人のきょうだいで2人とも女である確率と、そのうち1人の女の名前がわかっている場合に2人とも女である確率は違うのか?」
これをきっかけに確率論の本を漁ったが、次の本は自分の投資生活を一変させる影響があった。
タレブは、ランダムネスの考えを実践に活かして考えて、投資において、統計に依存する行為を「吹き飛ぶ(blow up)」として退け、不確実性に賭ける行為に変える行為にパラダイム変換を説いた。投機は、そもそも不確実性に賭けることなので、新規な考えではないのだが、ポートフォリオ理論としては珍しい。つまり、9割程度を「この惑星でいちばん安全な米国債(など)に設定して、1割程度をオプション買いでめいっぱいレバレッジをかけるという手法だ。この手法の実践を追々述べていこうと思うが、自分は自分のポジションを完全に乗り換えた。それほど、この本の影響は大きかった。
タレブのポイントは、標準偏差的な統計的観点は、社会的な事象に当てはまらないということだ。たとえば、人の身長などは標準偏差のベル・カーブの分布に当てはまる。しかし、人の収入の多寡、企業の成功、ベストセラー商品、株価などはそのような統計的分布には当てはまらず、極端な偏りとなる。これを、カール・ポパーの可謬論などを援用しつつ、ブラック・スワンとして取り上げている。白い白鳥しかいないという考えが、オーストラリアの黒い白鳥の発見によって覆された例をポパーの可謬論の事象としている。ポパー的に言えば、仮設とは「すでに反証が上げられて否定されている仮設」と「今後反証が上げられる可能性のある仮説」しかない。
このような考えは、自分のもともとの考えと、ポパーやハイエクから学んだ知見からも、全面的に首肯できるものだ。逆に、この完全懐疑主義をもとに何を考えられるかという点だろうか?
しかし、このような懐疑主義が一般的とは言いがたい。この経験主義的懐疑主義または懐疑主義的経験主義の「常識」が理解できないやつは全部馬鹿だと思って間違いない。
この本は、巧みなゴシップを混ぜながら、ランダムネスの本質を鋭く取り上げている。また、常識とは乖離した確率論の視点も提示していて面白い。たとえば、「3つのドアのうち1つに賞品のスポーツカーが入っている。まず1つのドアを選択したあとに、主催者が残りの2つのドアのうち、はずれのドアを開けたあと、最初の選択を固守したほうがいいのか?もう1つの残りのドアに替えたほうがいいのか?」「2人のきょうだいで2人とも女である確率と、そのうち1人の女の名前がわかっている場合に2人とも女である確率は違うのか?」
これをきっかけに確率論の本を漁ったが、次の本は自分の投資生活を一変させる影響があった。
タレブは、ランダムネスの考えを実践に活かして考えて、投資において、統計に依存する行為を「吹き飛ぶ(blow up)」として退け、不確実性に賭ける行為に変える行為にパラダイム変換を説いた。投機は、そもそも不確実性に賭けることなので、新規な考えではないのだが、ポートフォリオ理論としては珍しい。つまり、9割程度を「この惑星でいちばん安全な米国債(など)に設定して、1割程度をオプション買いでめいっぱいレバレッジをかけるという手法だ。この手法の実践を追々述べていこうと思うが、自分は自分のポジションを完全に乗り換えた。それほど、この本の影響は大きかった。
タレブのポイントは、標準偏差的な統計的観点は、社会的な事象に当てはまらないということだ。たとえば、人の身長などは標準偏差のベル・カーブの分布に当てはまる。しかし、人の収入の多寡、企業の成功、ベストセラー商品、株価などはそのような統計的分布には当てはまらず、極端な偏りとなる。これを、カール・ポパーの可謬論などを援用しつつ、ブラック・スワンとして取り上げている。白い白鳥しかいないという考えが、オーストラリアの黒い白鳥の発見によって覆された例をポパーの可謬論の事象としている。ポパー的に言えば、仮設とは「すでに反証が上げられて否定されている仮設」と「今後反証が上げられる可能性のある仮説」しかない。
このような考えは、自分のもともとの考えと、ポパーやハイエクから学んだ知見からも、全面的に首肯できるものだ。逆に、この完全懐疑主義をもとに何を考えられるかという点だろうか?
しかし、このような懐疑主義が一般的とは言いがたい。この経験主義的懐疑主義または懐疑主義的経験主義の「常識」が理解できないやつは全部馬鹿だと思って間違いない。
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