自分の人生を、社会を考える上で何がいちばん重要だと思っているか?たぶん、ランダムネスだろう。いかに、人の人生が偶然性に支配されているか、不確実性の海にいるのかを理解するためには、ランダムネスという概念をまず第一に置くべきだろう。
この本は、巧みなゴシップを混ぜながら、ランダムネスの本質を鋭く取り上げている。また、常識とは乖離した確率論の視点も提示していて面白い。たとえば、「3つのドアのうち1つに賞品のスポーツカーが入っている。まず1つのドアを選択したあとに、主催者が残りの2つのドアのうち、はずれのドアを開けたあと、最初の選択を固守したほうがいいのか?もう1つの残りのドアに替えたほうがいいのか?」「2人のきょうだいで2人とも女である確率と、そのうち1人の女の名前がわかっている場合に2人とも女である確率は違うのか?」
これをきっかけに確率論の本を漁ったが、次の本は自分の投資生活を一変させる影響があった。
タレブは、ランダムネスの考えを実践に活かして考えて、投資において、統計に依存する行為を「吹き飛ぶ(blow up)」として退け、不確実性に賭ける行為に変える行為にパラダイム変換を説いた。投機は、そもそも不確実性に賭けることなので、新規な考えではないのだが、ポートフォリオ理論としては珍しい。つまり、9割程度を「この惑星でいちばん安全な米国債(など)に設定して、1割程度をオプション買いでめいっぱいレバレッジをかけるという手法だ。この手法の実践を追々述べていこうと思うが、自分は自分のポジションを完全に乗り換えた。それほど、この本の影響は大きかった。
タレブのポイントは、標準偏差的な統計的観点は、社会的な事象に当てはまらないということだ。たとえば、人の身長などは標準偏差のベル・カーブの分布に当てはまる。しかし、人の収入の多寡、企業の成功、ベストセラー商品、株価などはそのような統計的分布には当てはまらず、極端な偏りとなる。これを、カール・ポパーの可謬論などを援用しつつ、ブラック・スワンとして取り上げている。白い白鳥しかいないという考えが、オーストラリアの黒い白鳥の発見によって覆された例をポパーの可謬論の事象としている。ポパー的に言えば、仮設とは「すでに反証が上げられて否定されている仮設」と「今後反証が上げられる可能性のある仮説」しかない。
このような考えは、自分のもともとの考えと、ポパーやハイエクから学んだ知見からも、全面的に首肯できるものだ。逆に、この完全懐疑主義をもとに何を考えられるかという点だろうか?
しかし、このような懐疑主義が一般的とは言いがたい。この経験主義的懐疑主義または懐疑主義的経験主義の「常識」が理解できないやつは全部馬鹿だと思って間違いない。
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